【絶滅動物】最近絶滅した動物がもつ、3つの魅力
おはようございます、expa(@expajp)です。
しばらく家に関するPOSTが続きました。
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しかも、通勤→引っ越し→家具家電、とだんだん引きこもる方向に行っているので、ここらで外に出てみましょう。
今回は最近絶滅した動物の魅力についてのお話です。
絶滅した動物にもいろいろ
とりあえずWikipediaで「絶滅」を調べてみると、
絶滅(ぜつめつ)とは、一つの生物種の全ての個体が死ぬことによって、その種が絶えること。種全体に対してではなく個体群に対して用いることもある。
絶滅 - Wikipediaより引用
とのこと。なので、過去に種が耐えたものはすべて絶滅動物です。当たり前ですが。
恐竜だってマンモスだってカンブリアモンスターだってみんな絶滅動物です。
が、自分が好きなのは19世紀以降に絶滅したものなんです。
最近の絶滅動物、その3つの魅力
(比較的)最近の絶滅動物になぜ魅力を感じるか。大きく3つに分けて書いてみます。
写真や剥製が残っている
しっかりした剥製が残っているオオウミガラス、山と積まれた死骸の写真が残っているリョコウバト、民家に迷い込んだ際の映像が残っているニホンカワウソなどなど、最近の絶滅動物はその姿が実物に近い形でしっかり残っている場合が多いです。
このことの何が良いかというと、「確かにこの生き物は過去に存在した」と実感を持って受け止められるのです。
例えば、オオウミガラスの剥製がこちら。
ライセンス:CC BY-SA 3.0 縮小済
種が存続していた頃が鮮やかに想像できます。
19世紀より前の時代になるとよくて絵しか残っていない場合が大半で、正直その生物の存在をあまり実感できないのです。
だってほら、ドラゴンの絵って実在しない割にたくさんあるでしょ?絶滅していて絵やらしか残っていない動物って、現在残っている資料の量からいうと想像上の動物と大差ないんですよ。素人だから化石やら骨格やらだけ見せられてもピンとこないし……
というわけで、18世紀以前の絶滅動物に思いを馳せるには、資料が少なすぎるのです。
まあなんで残っていないかと言えば、例えば「不思議の国のアリス」で有名なドードー鳥(17世紀に絶滅)なんかがそうですが、当時の扱いがとてつもなく雑だからなんです。
「滅びそうな種を保護する」という発想がなかった時代だからですね。
具体的にドードー鳥がどうなったかというと、剥製が博物館で管理されていたはずなのに保存状態が悪すぎて焼却処分と相成りました。
写真もない時代ですから、ドードーにはこういう絵しか残っていません*1。
うーん、たとえリアルでも絵は絵ですからね。
「祖父母の若い頃には普通に居た」という奇妙な感覚
これは特に日本の絶滅動物についてなんですが、調べてみると「祖父母の若い頃には普通に居た」みたいな事実がわかることがあります。
例えば、ニホンアシカ*2。日本にも割と最近までアシカがいたのです。野生の。
こいつの最後の目撃例は1975年です。祖父母どころか両親が生まれている……
それよりあとに生まれた自分は絶対に見ることができない生き物なのに、両親は確かにニホンアシカが存在する時代に幼少期を過ごしました。何か不思議な気分になりませんか?
そういえば、大正2年生まれの曾祖母が小学校の修学旅行で海水浴にいった話をしてくれたことがありました(おそらく大正14年の出来事)。このとき、近くにアシカが泳いでいたかも知れません。
一言では言い表せないのですが、なんとなく自分の感じている奇妙な感覚がわかってもらえたでしょうか?
この「無常観」というのか、時間の移ろいを否が応でも感じざるを得ない、そういう感覚が良いのです。
滅びに至る悲劇的なストーリー
大抵の絶滅動物には、滅びに至るストーリーがあります。
全盛期はいつだったのか。なぜその数を減らしたか。どの辺りから保護が始まったか。それでも絶滅したのはなぜなのか。
「写真が残っている」と書いた*3リョコウバトなんかは壮絶です。
- 北米大陸全体で50億羽以上いた、と言われるほどの繁栄
- リョコウバトの群れが空を埋め尽くして真っ黒になることがあったらしい
- 大陸にアングロサクソン人が入ってきて、狩りの対象に
- 主な理由は美味しいから
- どこにでも居すぎて研究者に興味を持たれず、繁殖力が弱いのに気付かれなかった
- そんな間にバンバン殺される
- 西部開拓で営巣地が減る
- やっと禁猟令が出るが、すでに手遅れだった上にそんなもの誰も気にしない
- 数が少ないので価値が上がり、最後の大狩猟が行われる
- 動物園でのみ生き残るが、どうしようもなく絶滅
50億から0というこの落差。それから西部開拓時代のアメリカ人の気質。
滅びるからにはそれなりの理由があるのですね。
この手のストーリー、オチが絶滅と決まっているので約束された鬱展開なわけですが、ぶっちゃけ後味の悪い話ってそんなにきらいじゃないんです。なんとも言えない気持ちになって、微妙な表情で同時に鳩を悼みます。
それから、寓話としての側面もありますよね。考えさせられます。
結果が出てから見ると「そらそうなるわ」って感じですが、当時の常識だったり、時代背景だったり、全員が全員自分の都合の良いように考えた結果だったりするわけで、まあなんというか、人の業は深い……
リョコウバトは特に壮絶ですが、絶滅に至る話、どんな話だったにしても何かしら感じるところはあります。そりゃ、種の絶滅って少なからず大変なことですから。
そして、悲劇性が逆に魅力を持ってしまうのです。僕ってひねくれてるね。
まとめ
最近の絶滅動物が持つ魅力は、
- 写真や剥製が残っている
- 「祖父母の若い頃には普通に居た」という奇妙な感覚
- 絶滅に至る悲劇的なストーリー
だというお話でした。
そのうち、個別の絶滅動物も取り上げていきたいなと思っています。
まだまだ趣味としては浅いので、深める目的も込めてね。
ちなみに、好きな絶滅動物は上に写真載せたオオウミガラスです。
写真だとちょっと怖いんですけど、こいつはかわいかったんじゃないかなと思ってます。
オオウミガラスについては、また後日。